[ BMWブランドヒストリー 01 ]

伝統の礎を築いた挑戦。
1916 - 1969

一目でBMWだとわかるロゴやデザイン、“駆けぬける歓び”という哲学が生まれるまでの軌跡。

空冷9気筒のBMWエンジン3機を積んだJu52。ベルリン-ローマ間を8時間で結んだ。
1929年のベルリンのディーラー。当初は車もバイクも同じ店舗で販売していた。
小さなファミリー向けサルーンBMW303は6気筒エンジンを搭載した最初のBMWだ。

一条の飛行機雲

第一次世界大戦末期の1919年、航空機の歴史に輝かしい1ページが刻まれた。一機の複葉機が9750mの世界最高高度記録を達成したのだ。パイロットが「もっと上昇することもできたが、携行した酸素が充分ではなかった」と振り返るほど、機体は優秀だった。そこに積まれていたエンジンには、今では多くの人が見慣れているエンブレムが刻まれている。円に囲まれた白と青のチェッカー模様。そう、BMWだ。

実は、BMWは航空機エンジンのメーカーとして始まった。1916年、ヨーロッパ中を巻き込んだ戦争の最中、航空機の需要拡大を背景に、エンジンを製造していたラップ社と、機体を製作していたオットー社が、より効率的な生産体制の樹立を目的に合併。本拠地のバイエルンにちなんで「Bayerische Motoren Werke(バイエリッシュ・モトーレン・ヴェルケ)」、直訳すればバイエルン発動機製作所と名乗った。この頭文字をとって、BMWは世に誕生したのだ。

軍需を背景に躍進したBMWだったが、第一次世界大戦のドイツ敗戦の余波を受け、航空機の製造は禁止された。代わりに手がけたのがバイク事業だ。1923年にBMW初のバイク「R32」を発売。高い性能と走破性を備えたこのモデルはベストセラーとなり、BMWはバイクメーカーとして礎を築いた。

バイク事業の成功を受け、BMWは1928年に自動車事業へ進出する。初めてBMWの名が冠せられた「BMW3/15PS」通称DIXYは、ライセンスを受けて生産された小型車で、庶民でも手に入れやすい手頃な自動車として人気を博した。

成功を収めた30年代

自社オリジナルの「BMW303」が登場したのは、ドイツ国内でモータリゼーションの推進が掲げられた1933年のこと。一際目を引くフロントのグリル、2つの腎臓(キドニー)に見立てて名付けられたキドニー・グリルは、すでにこのモデルから採用されていた。静かで、力強く滑らかな回転を生む直列6気筒エンジンの搭載もここからだ。「シルキーシックス」という愛称で親しまれ、今もBMWのクルマを特徴付ける一因となっている。

303発売の3年後には上級モデルの「BMW326」をリリース。BMW初の4ドア、油圧ブレーキ搭載の大型高級車で、富裕層に広く受け入れられ、生産が中止される1941年までBMW成長の原動力となった。

このころレースにも活発に参戦し輝かしい戦績を残している。1937年に発売された「BMW328」のプロトタイプが前年のレースで圧倒的な速さを見せて勝利。「スポーティで性能の高いクルマ」とのイメージを決定づけた。

だが、ヨーロッパには再び戦争の暗い影が押し寄せており、BMWも軍需に向けた製造に専念することになる。「戦前のBMW最高傑作」と後世に謳われた328は登場からたった2年で生産中止となってしまったのである。

戦後の試練

第二次世界大戦後、解体の危機に瀕しながらも、1951年、BMWはなんとか自動車の製造に復帰した。戦前の大型高級路線を継続し、「BMW 501」、「BMW502」を送り出すも、戦禍の影響から困窮が続くヨーロッパ各国では販売は振るわなかった。主な購買層はアメリカ等の数少ない富裕層のみで、あまり利益は上がらず、負債は膨らむ一方だった。

もっと時代のニーズに合わせたクルマをとの考えから発売されたのが、丸くユニークな形状の「イセッタ」だ。ヨーロッパの自動車メーカー各社は戦後、必要十分な装備と性能を持ち、誰もが手に入れられるクルマ、通称バブルカーの開発を競っていた。イセッタもバブルカーの一種で、開発はイタリアのイソ社。1954年にBMWはイソからライセンス生産権を獲得して販売を開始した。エンジンに定評のあったBMW製ということもあり、瞬く間に人気を獲得。累計16万台の売り上げを記録し、庶民の足として活躍した。

しかし、低価格車であるがゆえに、利益はあまり上がらなかった。経営危機を回避するまでには至らず、1959年にはあわやダイムラー・ベンツの傘下に入るかという事態にまで陥ってしまう。

BMWらしさの再発見

その危機を救ったのが、今もオーナー一族として知られるクヴァント家だ。ベンツの大株主だった彼らはその株を全て売却し、BMWに全額出資。BMWの独立性を保った。

もっともこれはクヴァント家にとっても大きな賭けだった。傾いたBMWを再建するには、BMWらしさとは何かを考え直し、確固たる方針を立てなければいけない。

そこで考え出されたのが「ノイエ・クラッセ(=新クラス)」と呼ばれる1962年から登場した一連のモデルだ。先陣を切った「BMW 1500」は、今日のBMWが持つイメージやクルマ作りを決定づけた一台だ。ミドルクラスのセダンという大きさとモダンな外見に加え、走りの楽しさを主張する卓越したハンドリング性能は、「スポーツ・セダン」という全く新しい価値をもって市場に受け入れられた。戦後、迷走を続けていたBMWが「走り」を追い求める姿勢に立ち返った瞬間でもあった。

続く1600、2002といった1500の派生モデルも成功を収め、創業から50年経った1966年、これまで明文化してこなかったポリシーを制定した。

「Freude am Fahren(フロイデ アム ファーレン)」。

駆けぬける歓び、その哲学の下に自動車を作り続ける、と。今に続くBMWブランドの歩みはこうして始まった。

1928年から1945年までBMWの生産が行われたアイゼナハ車両製作所。
BMWイセッタ。1957年には4人乗りのBMW 600が登場している。
BMW1500。シャシーやサスペンション、エンジンなども新規に設計された。
1966年〜1977年に製造された小型2ドア・セダン。日本では「マルニ」の愛称で親しまれた。
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