[ MINIブランドヒストリー 02 ]

吹き込まれた新たな息吹。
MINIの夢は終わらない。
2001 - 2018

BMWの一員となってもMINIらしさは失われない。ダウンサイジングを求める世の流れの中で、さらに輝きを放っています。

ローバーの提案によるコンセプトカー「MINI SPIRITUAL DESIGN CONCEPT」。
BMWがMINIの今後を最初に明らかにした1997年のコンセプトカー「ACV30」。
オックスフォード工場は2013年、操業から100年を迎えた。

400万台クラブという焦燥

2001年、「NEW MINI」デビュー。その道のりは決して平坦ではなかった。

遡ること90年代半ば、自動車業界では「400万台クラブ」という言葉がまことしやかに囁かれていた。アメリカの名門コンサルティング会社が自動車業界の将来的な予測を発表。近い将来、自動車メーカーは統合再編されて、年間生産台数が400万台に満たなければ生き残れないというものだ。

世界的な不況が続いていた当時、その言葉は強い真実味を帯びていたが、2000年の時点で400万台を超えていたのは結局のところ1社しかない。それでも、大半の自動車メーカーは生き残った。

ただし細部を見ていけば、提携や合併が進み、大メーカーの庇護を受けることで生きながらえたメーカーが多数あったこともまた事実だ。

MINIも、そうした自動車メーカーの栄枯盛衰のうちに住処を移した。その住み心地は、どうだったのだろうか。

NEW MINIの開発が始まったのはBMWがローバーを買収して間もない1994年のこと。 当時、BMWがどれくらい400万台クラブ説を現実視していたかは定かではないが、そのカー・ラインナップには不安を覚えていた。高級車や上質なプレミアム・カーのみでは、同じセグメントを競う他ブランドとの顧客の奪い合いになることは必須で、販売台数の拡大も難しい。

BMWだからこそ気づいた価値

そこで始まったのが、MINIのフルモデルチェンジだ。ただちに約1億ポンド(当時の日本で250億円)の資金が用意され、40年以上も変えられることのなかった基本設計にメスをいれ、当時の安全基準に見合った形ですべてを一新することとなった。

ところが、MINIを一番理解しているはずのローバー側はその決定に落胆したという。新型のセダンやSUV、ツーリングワゴンなどへの投資を期待していたからだ。

加えて、ローバーはMINIを特別な車とは考えていなかった。当時のローバーの技術部長の言葉を借りれば「一風変わっているが古くからある車名の一つという程度にしか誰もが理解できていなかった」といえる。イギリス人にとって、MINIの姿はあまりにも日常的すぎたのだ。

BMWは、新型MINIの設計案を広く募集し、ローバーやミュンヘン本社の設計チームはもちろん、カリフォルニアのデザイン事務所などからもユニークな案が寄せられた。だが、有力と目されていたローバーが提出した設計案はMINIが本来持つクラシックで洗練された外観から逸脱しており、とてもBMWが期待したものとはいえなかった。

逆にミュンヘン本社の設計はイシゴニスがつくりあげたイメージを今の技術で再現することにこだわった。MINIの面影を残した外観にBMWらしい高い走行性能や環境性能を実現し、正当に進化した姿を作り上げたのだ。世界に目を向けてみれば、MINIの姿は今でも変わらず胸をときめかす存在感を持っていることをBMWの設計チームはよく理解していたのだ。

数々の困難

基本設計はミュンヘン本社の案を採用することとなったが、開発は製造も担当するローバー主導で行うことになった。議論を交わしながら一つひとつの設計を詰め、1996年には、残す課題はあと一つというところまできた。エンジンだ。

エンジンは車体のバランスや動力性能はもちろん、フロントの外観も大きく左右する。ところがそれまでローバーが設計してきたエンジンは、新設計のボディに対して小さすぎ、一方、BMWの持ち合わせていたエンジンは、どれもスモール・カーの狭いエンジンルームには収まらなかった。

そこでBMWは他社の力を借りることにした。当時、超小型車を開発中だったクライスラーと1.6リッター4気筒の小型エンジンの共同開発を契約。新しいパートナーを迎え、完成に向けて開発を加速させた。

しかし2000年、その歩みを阻む事態が起こる。以前から経営悪化の一途を辿っていたローバーを生産工場も含め、切り離さざるを得なくなったのだ。 この時点で新型MINIはほぼ開発が終了していたが、BMWはローバー主導の設計をそのまま残すことを選ばなかった。その理由は国ごとの規格の違いにある。イギリスはヤード・ポンド法の国であり、国際的なメートル法を採用していない。生産設備を見直すということもあり、国際基準に合わせた方が後々必要となるであろう生産拠点の拡大や、各国のディーラーでの整備も容易になる。今後の開発もドイツが主導となる以上、馴染み深い単位の方がいい。そこでミュンヘン本社の開発チームはすべてのパーツのサイズを測り直し、ミリで図面を引き直し、再設計を図った。

そうした紆余曲折を経て、新しい世紀を迎えた2001年「NEW MINI」は無事デビュー。世界中のMINIファンの期待に応えただけでなく、BMWらしい車両としての信頼性とポップでエキサイティングな広告戦略も相まって、新たなファンを獲得していった。

日本での熱烈な歓迎

BMWは開発時から日本にマーケットとして大きな可能性を見出していた。90年代からローバーのディーラー・ネットワークが確立されていた上に、かわいらしい外観や日本の道路事情に合ったサイズ感から根強い人気を誇っていたからだ。

日本での販売開始はワールドプレミアから半年ほど待つことになる。日本で盤石な販売を行っていくために準備期間を設けたのだ。

BMW Group Japanでは販売戦略やマーケティング、ブランディングを担うMINIディビジョンを発足させる。白を基調としたBMWの社内に、黒を基調としたビビッドなカラーが映える一角を備えることで、社内でもブランドの浸透に努めた。

販売は旧MINIディーラーだけでなく、BMWを運営する地場企業からも参加を募り、ディーラー・ネットワークを拡大していった。

そして 3月2日をミニの日と制定し、2002年の同日、国内で一斉に販売を開始。バックオーダーを抱えるほどの大人気を博すことになる。当初、ハッチバックしかなかったモデルも、開放感を味わえるコンバーチブルや、ワゴンタイプのクラブマン、やや大柄なもののファミリーユースに最適なクロスオーバーなど、年々ラインナップも充実。MINIのさまざまな楽しみ方を提案することで、多様なライフスタイルや価値観をもつ人々の心を掴んでいった。

変わり続けるものと変わらないもの

2013年には基本設計が第3世代まで進化した。パワフルで環境性能が高く、低燃費なエンジンを採用。車格も3ナンバーまで上がり衝突安全性を強化した。前方を走る車を追従走行するアクティブ・クルーズ・コントロールや、歩行者検知機能付きの前車接近警告、衝突回避・被害軽減ブレーキ機能の3機能がセットになったドライビング・アシストを実現するなど、先進の技術もふんだんにおごられている。2017年にはMINIとしては初となるプラグイン・ハイブリッド車を発売し、時代の要請に応え続けている。

しかし、どれだけ変わってもアイコンとなっている愛らしいデザインは受け継がれ、ゴーカート・フィーリングと言われるハンドリングの軽快さは旧MINIの時代から変わっていない。

MINIの設計者アレック・イシゴニスが残した遺産はBMWの下でさらなる輝きを放ち続けている。

どんどん逞しくなるMINIの変遷。
2009年、ロンドンで開催されたMINI誕生50周年イベント。1万人以上のファンが詰めかけた。
ダカールラリーへは2011年に参戦。翌年から4年連続優勝の栄冠を勝ち取った。
2016年には総生産台数300万台を突破。記念式典がオックスフォード工場で行われた。
登場から16年、ラインナップは固まりつつある。
車が共有財産になる時代を見据えたコンセプト「VISION NEXT 100」。
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