[ MINIブランドヒストリー 01 ]

最初から革新的。
時代に抗って信念貫いた挑戦。
1959 - 2000

人々の心を捉えて離さない愛くるしいデザインと、たぐいまれな運動性能。名車が生まれた裏には一人の天才の強いこだわりがありました。

イシゴニスによって描かれたとされるスケッチ。ラジエーターや燃料タンクの位置、ラバーサスペンションなど小型化のためのアイデアが記されている。
初期型のMiniに搭載されたブリティッシュ・モーター・コーポレーション製の水冷直列4気筒SOHV848ccエンジン出力は、わずか34馬力だった。
発売当初、オースチン・セブンとモーリス・ミニ・マイナーの名で2つのブランドで販売された。

始まりの紙ナプキン

1958年、とあるホテルのレストラン。初老の男が紙ナプキンにスラスラと一枚のスケッチを描き上げていた。男の名はアレック・イシゴニス。紙ナプキンに記されていたのは、まったく新しい自動車のデザインだった。これが歴史に残る名車になるとは、イシゴニス本人もまったく気づいていなかった。

1956年、スエズ動乱の勃発によって、ヨーロッパには深刻な石油危機が広がっていた。イギリスに至っては、ガソリンが配給制になるほどで、安価で低燃費な車が急速に求められるようになっていた。
この事態を重く見たブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)のレナード・ロード会長は、腹心の部下に時勢に合った新型車の開発を命じる。それが冒頭のアレック・イシゴニスだ。

イシゴニスが会長から与えられた開発の条件は「配給制にも耐えるほど燃費が良いこと。ただし新しいエンジンを開発する余裕はないので、現在社内で生産しているエンジンを載せること」だけ。デザインも設計もすべて一任された。

折しも当時、バブルカーと呼ばれる2人乗りの低価格、低燃費の車が世界的なブームになっていた。ロード会長は自社版バブルカーの開発を目論んでいたとみられるが、イシゴニスは潮流に安易に迎合することを良しとしなかった。いくら燃費がよく、コストが抑えられても、人がきちんと無理なく乗れて、荷物も積めなければ意味がない。あくまで人にとっての使いやすさを追求した上で、必要最小限の寸法と、燃費のいい車体を設計するべきと考えたのだ。

そうして1959年、イシゴニスが作り上げた車が「Mini」。全長約3m、全幅約1.4mという今の軽自動車と比べても圧倒的に小さなボディサイズながら、大人4人が乗車できるスペースを確保。これまで当たり前といわれていた縦置きのエンジン配置を横置きにし、サスペンションのバネにゴムを採用するなど、省スペース化に挑んだイシゴニスの画期的なアイデアの賜物だった。

ファッションとしての成功

ところがふたを開けてみると、Miniは大衆にまったく受け入れられなかった。バブルカーほど思いきった安さも小ささもなければ、これまでの大衆車ほど大きくもない。ただの足としての車とも、ステータスとしての車とも違うMiniをどう捉えていいかわからなかったのだ。

意気消沈するBMC首脳だったが、ブームの火の手は思わぬところから上がった。各界のセレブリティがその新しさに目をつけたのだ。ミュージシャンのビートルズ、デビット・ボウイ、エリック・クラプトン、ファッション・デザイナーのポール・スミスに俳優のスティーブ・マックイーン。そしてエリザベス女王までもがMiniを愛用した。その姿を目にした大衆にも個性的で先端をいく車として、人気が広がっていった。

走りのMini「クーパー」

Miniはレース界でも大きな足跡を残すことになる。小さな車体と独特の機構が生み出すゴーカートのような運転感覚に目をつけた、イシゴニスの友人ジョン・クーパーがモータースポーツで使うことを思いついたのだ。ハイパワーのエンジンに載せ替えてみると、驚くようなポテンシャルを発揮。後に「Miniクーパー」として正式なラインナップに加えられるこのモデルはレースやラリーで活躍するようになる。特に注目を集めたのが、雪に閉ざされた山間の公道で競われる、モンテカルロ・ラリーでの勝利。格上のスポーツカーを差し置いて1964、66、67年の3度も優勝に輝いた。

1960年代には、クーパー以外にも多くのバリエーションが開発された。より実用性を求めたバンやピックアップ、ウッド・フレームが特徴のカントリーマン、果てはバギー仕様のMiniモークまであり、いずれも人気を博した。

変わらず愛された40年

Miniの発売元のBMCは二度の改組を経て、後にオースチン・ローバーへと発展。1994年にローバーはBMWの傘下となったが、組織が変わっても、Miniの製造は続けられた。排気量の拡大やフロント・マスクの変更、バリエーションの増加など、変化もあったが、基本デザインやメカニズムはまったく変わらなかった。2000年には、自動車に求められる衝突安全性と排出ガスの基準をとうとう満たすことができなくなり、生産ラインが閉鎖。それまでの総生産台数は537万8,776台に達した。

ここに面白いエピソードがある。著名なデザイナーとして知られるセルジオ・ピニンファリーナはMiniを見てこう語ったという。「少しはボディをデザインすればよかったのに」。すると、イシゴニスは少しも慌てずに「いや、Miniは私が死んでいなくなってもずっと流行しているよ」と答えたという。イシゴニスが世を去ったのは1988年のこと。その言葉の正しさは、彼の傑作が40年以上にわたる長い歴史を築いたことで証明された。

ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリスンのMini。
60年代にはクーパーSが登場し、モンテカルロ・ラリーで3回の総合優勝を果たした。
クラシックMiniの最終モデル、いわゆる「ラストミニ」として発表されたモデルのひとつ、ローバー・ミニ・セブン。1959年から続いたMiniは、2000年ひとまずその役目を終えた。
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